おいなりの随筆、かもしれない

パクチー並に癖のある徒然なるまますぎるブログ。

母と娘、盛り上がるのは父の悪口

母と話しているといつも父の話題、とりわけ悪口で盛り上がる。

悪口といっても、「あのオッサン、ほんまどうしょうもなかったな(笑)」といったニュアンスのもので、今や笑い話。

父が死んでから7年も経つし、故人に対して恨み辛みを残していても仕方がないのだ。

もうすぐ父の日なので、私の父について少しだけ書こうと思う。


私の父


どう贔屓目にみても、私の父は良い親だったとは言えない。


お馬さんみにいこか〜と、平気で競馬場に連れて行くような父。
動物園なんて連れて行ってくれた試しがない。良くて鹿のいる奈良公園だ。


私が拾ったお金をネコババした父。
競馬場でたまたま1000円札を拾ったときだ。
「交番に届けよう」と提案すると、父は「落とした人も気づいてへん。貰とこ」と善良な幼女の心を踏みにじり、そのお金でさっそく缶ビールとジュースを買った。
私は後ろめたい気持ちになりながら買ってもらったジュースを飲んだ。


私がこつこつ貯めていた現金3000円を盗難した父。
それも1回や2回じゃない。気づけば無くなっているのだ。私が憤慨していると、母はいつも黙って代わりにお金を返してくれた。
そのお陰で父の信用はゼロ。「お金貸して」と言われたときは、それが例え100円でも、借用書を書かせた。


沖縄のお土産にゴーヤを買った父。
沖縄旅行へ行ったとき、父は土産の中に何故かゴーヤを紛れ込ませ、宅配便で自宅に送っていた。
数日後、遠路はるばるうちへやってきたゴーヤだったが、ダンボールの中で無残にも腐りきっていた…。
「何でこんなん入れてんの!ゴーヤくらいその辺のスーパーにも売ってるやろ!アホちゃう!」と母が怒り狂い、父はゴーヤマン片手に小さくなっていた。(当時おいなり家では朝ドラのちゅらさんがブームだったのだ)


子供のプレゼントをぞんざいに扱った父。
あれは忘れもしない。幼稚園児の頃の話だ。
私は紙粘土で“おとうさんのかお”を作って父の日にプレゼントした。
酔っ払っていた父は「これ、食べられる?」と訊いてきた。私が「たべれへんで」というと、父は興味無さげに“おとうさんのかお”をその辺にぽいと放置した。
悲愴感漂う“おとうさんのかお”……しくしくと泣いているようにも見えた。
その時私は「もうおとうさんにプレゼントなんかあげへん!」と心に決めた。

あれが最初で最期の父の日のプレゼントだった…

感謝はしている。


父のダメっぷりは挙げ出したらキリがないのだけど、そこはかとなく漂う父のクズ感が伝わっただろうか。


こんな父のお陰で母は随分と苦労したみたいだ。
借金で家も失くしたしね。

でも、それも今となっては笑い話。

結局父は「どこか憎めない人」のカテゴリーに分類されるタイプの人だったのだ。


なんだかんだで母が父の悪口をいうときの「仕方ない人」って感じの呆れた物言いに、愛があるように思う。

私もそんな感じかもしれない。
感謝はしてるよ。

お父さん……あなたを反面教師に私は今日もまともに生きています。


ほなねー

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